読み手「やまだ眸月真」のつぶやき

長崎の民話 第9話「金鍔谷」

今回のお話いかがでしたか。
戸町三丁目「金鍔」バス停というのがあります。私は降り立ったことはないのですが、夫の実家がその向こう南の方、長崎の三和町蚊焼という所なのでよく通ります。
大切なもののために一生を費やし、わが身を犠牲にするという生き方。
犠牲にするという言い方になってしまいますけれども、でも当人にとってみたらどうだったんでしょうか。

私はこの物語を読む時にハッとしたことがあって。私は「歌の種とかいて、“うたたね”のやまだ眸月真です」というふうに言っているんですけれども、“うたたね”という漢字、本当は“転寝”と書きます。なので、キリスト教を棄てることを、転ぶという表現をすると知ってはいましたけど、実際、自分の口から発してみて、深く揺さぶられるところがありまして、いつの時代か私も転んだことがあるのではないかなと思いました。そして、それでもまた時を経て、この肉体をもって、今、この時代に生きているので、自由のもとで精一杯命を燃やして生きていきたいなと、この物語を読んで気持ちを熱くしています。
皆様はどのように感じられましたでしょうか。

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