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特別編「長崎おもしろ・よもやま話」第34話「唐人船のお守り札」

■唐人船のお守り札 肥後国・阿蘇山衆徒の大徳方栄解は、「自分の寺の守り札を長崎市中に配ってほしい。そして唐船帰帆の安全守護祈祷ができるように斡旋してほしい」と、長崎大村町・田辺敬十郎に頼みました。敬十郎は、言葉巧みに栄解を騙し、金子を手にします。栄解の死後、後を継いだ栄観は、敬十郎の振る舞いがおかしいことに気づき、栄解が約束したことを破棄したいと告げます。すると、敬十郎は高圧的になり、偽りの書類等を並べ立て、さらに金子を要求してきました。断れず、金子を渡してしまった栄観ですが、その企みを訴える手段に出ます。敬十郎やその企みに加わった者は処分を受けました。いったいどのような処分だったのでしょう。
■追っ払い 江戸時代の刑罰に「追っ払い」処分があります。「追っ払い」処分は、自分の住んでいる町から追っ払われる軽微なものから、長崎から追っ払われる追放という重いものに分かれていました。追放処分を受けた者は人別帳からも除かれ、無宿者になるのです。その追放された無宿者が、再び長崎に舞い戻っているとわかれば、さらに重い罰「追っ払い立ち帰り」をうけることになりました。罪が重くなるとわかりながらも立ち帰りをする理由とは?
■くんちの裏側 華やかなくんちの裏側には、血が流れるような喧嘩や多数の負傷者が出たりするほどの大喧嘩、金銭に関する事件が起こっていました。それら事件の処分はいかに?

特別編「長崎おもしろ・よもやま話」第33話「長崎の抜け穴・唐人屋敷からトンネルを」

■長崎の抜け穴 寛文6年(1666年)から慶應3年(1867年)までの長崎奉行所の判決記録「犯科帳」には、8,000件以上の事件が記録されています。その中でも、最も多い事件は、密貿易に関するものです。密貿易にも色々な手口があります。どんな方法で密貿易を行っていたのか、そしてそれが発覚した時の刑罰についてのお話です。
■女の獄門 その当時、女性の人権はほとんど認められていなかったので、女性が極刑にふされる例は非常に少なかったのです。しかし、長崎奉行所8200件余の内、女の身で獄門打ち首の刑に処せられた罪が、2件あります。いったいどんな罪だったのでしょう。
■漂流民の献立 弘化三年(1846年)、長崎に入港した唐船によって、唐国漂流の日本人4人が送り返されてきました。さっそく、牢屋に入れられ、取り調べをうけていましたが、ある日、この4人が脱走してしまいます。捕えられた2名は後に死罪となるのですが、その判決にあたり、幕府の採決を仰ぐために添えた事件の詳しい内容でわかったこととは?